Aims

氣が目指すもの

Preamble

定款前文

人は本来、もっと自由で個性的である。一人一つの体と心が与えられ、それぞれがそのままに生きることが人間の本質である。しかし、いつしか支配と依存の構造が世界中に蔓延し、その中で多くの人は自分自身を生き切るよりも、自分以外の何かに従って生きている。だが、いずれそれも変わらざるを得ない。人間の本質は抑えきれない。それに従って多くの人が動き始めれば、自由の時代がやってくる。いや、もうすでにそれは始まっている。あなたがその自分の心の声に耳を傾ければ。

心の声をかき消す雑音は無数に外にある。他人の意見、習慣、常識、見ることも触ることもできない概念など。特に高度に情報化された現代社会において、私たちは24時間365 日、寝ている時以外ほぼ常に雑音に晒され、それに支配され、動かされ続けている。特にお金という概念の力は強大だ。今やそれが世界を動かしていると言っても過言ではない。多くの関係性は主にそれでつながれ、真に心でつながることが難しくなっている。多くの人が自分自身の心の声が聞こえない状態で生きていれば、それが他人に伝わらないのも当然だ。

世界はあまりに大きく、複雑になりすぎた。そして概念や仕組みのようなバーチャルな構造がリアルな世界を支配し、リアルな存在である私たちの心を捻じ曲げている。地球の裏側から運んだ野菜の方が、国内で取れた野菜より高いという理屈を理解できる方が異常なのだ。地球の裏側とはお金でつながれても、隣人とは心でつながれない。そんな不可解な現象が起きるのが現代だ。私たちは別の生き方もできるはずだ。顔の見えるリアルなつながりに囲まれた生活、お金のつながりだけではなく、関係性に基づいて実体価値の交換される経済。当会社はその事業を通じて、それを実現する領域を地球上に広げていく。

我々がソウゾウ(想像/創造)する世界は、そんな領域がコミュニティとして無数に存在する世界(Community Supported Planet/無数のコミュニティが支える惑星)だ。そこにはもはや国境もない。境界という、そもそも存在しない概念は人々の頭の中からも消え、ゆえにそこには内も外も存在しない。コミュニティの内も外もない世界だ。したがって、我々が考えるコミュニティとは図1のような形態ではない。外界に対して境界を築く形になれば、国家の縮小版でしかないからだ。コミュニティとは、そこで全てを完結することでもないし、閉鎖的になることでもない。

図01

我々が考える新しい世界のコミュニティは、図2のようなイメージである。まず、それぞれの分野ごとに価値観を共有するネットワークレイヤーが形成され、そこに関心のある個人たちが緩やかにつながっていく。それは閉じたコミュニティというより、出入り自由な開かれた場であり、一つの大きな場というより、リアル、バーチャルを含め、多様な瞬間、空間、時間軸、形態で展開される無数のイベントである。要するに、我々が通常行っている友人同士のお茶会、飲み会、定例会などと大差ない。その「通常」が失われつつある社会だからこそ、それを取り戻す作業とも言える。

図02

ポイントは、我々がそのレイヤーを多層的に重ねていこうとする点だ。これにより、多様な興味関心を軸に、多様な人々につながる機会を提供し、分野を超えた新しいつながりが自立的に発生することを意図している。もちろんそれらは全て自由意志によるものであり、我々の活動は全て「自由、自立、分散」を基調とする。しかし、それが当たり前でなく、「支配と依存」の構造が蔓延している現在の世界だからこそ、これは小さな単位で新しい世界を実現しようとする事業である。将来的には、その支配と依存構造の根幹をなす、既存の金融システムに代わる新しい価値交換システムの構築なども見据え、新しい社会のシステムデザインをできる範囲から実践する、それが当会社の事業の本質である。最後に、当会社の全ての活動の基調となる「自由、自立、分散」を実践するための指針として、当会社に関わる全ての人に心がけていただきたい五つの行動規範を記す。

一、全て自由意志によること
出入り自由。やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらない。
二、自分を偽らないこと
そのままでオッケー。人の目は一切気にしない。
三、人を変えようとしないこと
考えは違ったままでオッケー。何も強制しない。
また、「知って欲しい」と言いながら、求められもしないのに余計な情報を押し付けない。
四、言いたいことは言うこと
それがあなたの存在意義。特に誰かの言葉や情報ではなく「あなたの言葉」が聞きたい。誰も変えようとしないから大丈夫。
五、今を楽しむこと
でなければ、この世にいる意味は何だろう?